「いつか使うかも」の「いつか」はたいてい来ない

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先日デジカメ(デジタルカメラ)を処分しました。

ずっと気になっていた、懸案事項だったのです。

どのくらい気になっていたかって?

かれこれ5〜6年ほどでしょうか。

iPhone6を買った頃から、デジカメはほとんど使わなくなっていましたから。

写真も動画も、スマホがあれば十分です。

しかも、友だちやSNSにシェアするなら、むしろスマホの方が便利。

デジカメなんて、もう使わないのです。

では、なぜ長い間捨てずにいたのか?

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「いつか誰かが使うかも」と思っていた

それは「いつか誰かが使うかも」と思っていたからです。

具体的には、

「誰か」→スマホを持っていない両親
「いつか」→彼らのデジカメが壊れて使えなくなったとき

という想定でした。

それに、私はそのデジカメのデザインがすごく気に入っていました。

また、買った当時はそこそこ高かったのもあり、無下に手放すことができなかったのです。

そのため、私は両親を口実に、使いもしないデジカメを持ち続けていました。

で、結局どうなったか?

結局誰も使わなかった

そのデジカメは、結局誰にも使われることはありませんでした。

なぜなら、両親がデジカメで写真を撮らなくなったから。

現在70代になった両親(しかも父は後期高齢者)、歳とともに外出の機会もだんだん少なくなり、写真を撮ることがほとんどなくなったのです。

特に母は「デジカメは荷物になるし重い」と言って、たまの旅行の時も持って行きません。

また父は、何か撮影したいときはガラケーのカメラを使っています。

以前はデジカメを使っていたのですが、やはり持ち歩くのが面倒になったようです。

ということで、私の両親のデジカメが壊れる前に、彼らはデジカメを使うこと自体をやめてしまいました。

こうして、私のデジカメは出番がなくなったのです。

やっと手放す気になれた

今後も使う見込みがなくなってしまえば、話は早いのです。

何せ私はミニマリスト。

「いつか使うかも」という期待のないものは、簡単に手放すことができます。

さっそく下取り業者に連絡して、引き取ってもらいました。

下取り額は6,000円でした。

こうして、5〜6年ほど懸案事項だったデジカメの処分は、終了したのです。

「いつか使うかも」の「いつか」って、たいていは来ないものです。

でも、もしも「いつか」に備えておきたいなら、その「いつか」を具体的に考えておくといいかもしれませんね。

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この記事を書いた人

ミニマリスト/ブロガー
HSP&内向型人間で会社員の仕事が合わず、会社を辞めてブログで生きることを選ぶ。
関わる人・物・事柄を最小限に生きるミニマリスト。
無類の猫好きで、自分ちの猫が世界一かわいいと信じている。

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